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HISTORY

19xx   

3.5 京都府右京区太秦に、会社員父 幸夫、俳句作家 母 郁子との間に長女として生まれる。

 

 

8才

ローリングストーンズにはまる。初めて小遣いで買ったレコードは「Jampin’ JACK FLASH」だった。ついで、ビートルズの洗礼をいとこより受ける。

 

10才〜12才

カーペンターズの虜になる。ファンクラブにも入会。当時流行ったカーペンターズのレコードは全部小遣いで入手。

 

12才(中1)

カーペンターズの来日公演にファンクラブで入手したチケットで   独りで行き、衝撃を受ける。

 

中学時代

ROCKエイジの始まり。QUEENの大ファンになり、ファンクラブにも入会。中2の時、QUEENの来日公演に独りで行き、興奮しまくる。

ツェッペリンやエアロスミス、KISS、バッドカンパニー等、ロックに夢中。

 

高校時代 

「シークレット・ダメージ」という、 レディース・ロックバンドを結成。サイドギター兼ボーカルを担当するも、ギターの方は断念。

以後ボーカルに専念する。

 

高3

YAMAHA主宰のロックコンテスト「8・8 ROCKDAY」の大阪大会レディース部門で、敢闘賞を受賞。バンドは高校卒業を期に解散。

 

18才

アパレル業界を目指し、上田安子服飾専門学校に入学。しかし音楽の道を諦めきれず、学部コース変更して音楽をする時間をつくる。

この頃、レコード店でバイト。そこでソウルなどの黒人音楽に目覚める。

 

19才

知人の紹介で、クラブ歌手の仕事を始める。初めてのレパートリーは「what a difference a day made」。

 

21才〜

北新地の「ルーモアハウス アスク」という、佐川満男がプロデュースする、ライブ・ディスコで歌手の仕事を始める。

ここで多くの大阪在住ミュージシャンと交流を深め、彼らからブラックミュージックの真髄を教えられる。

この店には佐川さんが撤退してオーナーが変わった後も出演した。

 同時期、「VOX」というニューウェーブロックバンドのサイドボーカルも担当。 ライブハウス出演やツアーなど積極的に活動した。

 

1988

「VOX」東京進出のため上京。しかし、メンバーの半分が上京せ ず...という事態で バンドは自然消滅。

ライブクラブ等で歌手の仕事をスタート。

 

1989

ニューヨークに2ヶ月滞在。ニューヨーカー、とりわけアーティストやミュージシャン達は、実に自然に、

おしゃべりをしてるような感覚でライブをしていた。その気負いのない自由で開放的な音楽に対する姿勢に衝撃を

受け、その後の自分の音楽感に多大な影響を受ける。

 

ニューヨークから帰国後、滝ともはる氏率いる 「Tokyo international artist club band」に参加。

国内各地でディナー・ショーなどを行う。

 

1990

米国人シンガー ラニー・ラッカー氏と、 「KOKO&RONNIE」を結成。 91’年にトーラスレコードより、

「Do you remember ~ふたりのベイブリッジ」でデビュー。全国各地でコンサートを行う。

このユニットは92’年頃まで活動した。

 

1991

ハウス、テクノなどのダンスミュージックに開眼し、エレクトリックミュージック界での活動を開始。

クラブ等でライブパフォーマンスを始める。アルファレコードのエレクトリック音楽のコンピレーションCD制作をきっかけに

多くのテクノアーティスト等とコラボ。現在、ゲームミュージック界で活躍中の作曲家、安達昌宣氏と、

ダンスパフォーマーを交えてのエレクトリック音楽ユニット「EUR」結成。

 

1992

「EUR」のレコーディングでエンジニアを務めたイギリス人アーティストNICK JAMES氏と結婚。

ライブ等の活動と並行して、CDや、CMなどののレコーディングやバックコーラスなど、

セッションシンガーとしての活動も多く始める。

 

1995

腎不全を発病。

 

1996 

透析を経て、母からの片腎提供で、腎臓移植手術を受ける。手術成功。この闘病中も音楽活動はずっと休まず続ける。

 

2001

THE BELLS結成。リーダーとしてウェディングやイベント、ライブなどの数多くの活動を開始。

 

2007

CD「the bells vol.1」発表。

 

現在

ライブハウス出演や、セッションシンガーとしての活動、THE BELLSや、NICKとのユニット「Venus Fly Catcher」などおかげ様で、

楽しく音楽を続けさせてもらってます。こう書き出してみると、色んな人との出会いで今の私があるのだと、

本当に実感しています。私に影響を与えてくれた、数多くの素晴らしいミュージシャン、

夫をはじめ家族、友人、そして私に無償の愛で自分の腎臓を提供してくれた母に、感謝の気持ちを持って、

心を込めた歌を歌っていきたいと思ってます。

 

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